19歳女の話

追い詰められた瞬間を書きとめていくので見てください、20歳になりました

アルバム

 

ばらばらになって出てきた写真の束を時系列に沿ってアルバムにしまい込む作業と同じように、ばらばらと思い浮かぶ過去を整理して、美しい思い出として心の奥にそっと置いておきたい。そう、思い立ったから書き出した。

 

部屋の片付けはいつも突然したくなる。正面から向き合うのが苦しくてため込んでいた夏休みの宿題は去年の七月の終わり頃からずっと机の端に、でもぎりぎり視界に入るところにおいてあって、やらなければと思うものの開くのが怖くて一年と三ヶ月が経った。たくさんの事が変わっていろんなことを知ってまた一つ歳を重ねた。

もうそろそろ、いい加減この宿題を片付けなければ、自分の中にもやが残る。私の先生は提出物を催促するタイプではないのが、更に心苦しさを強めてた。「さっさと片付けろ」と叱ってくれたのならば、どんなに楽だろうか。「君のペースで、出来れば早くがいいけれどいつでもいい。待っているよ」と淋しげに困った顔をする今の私の先生、悲しませていけないのは誰なのか、火を見るよりも明らかなのに私はこわくてこわくて、問題に向かうこと、それ以前に宿題を開くことすら出来なかったのです。やっと、こんなに時間がかかるとは、いやこれからももっと時間をかけて問題を解いていくのかもしれません。今でもふとした時、思い出す事があるけれど、どれもこれも水滴を落とした写真のようにインクが滲んでいて輪郭がはっきりとせず、どんな顔をしていてどんな状況だったのか、そこまでもう思い出せない。具体的にいつ、どこでどんなことをして…という記憶がもうほぼ、ない。あんなにかけがえのないものなど存在しないのだと信じきっていたあの頃からすれば、非情で鬼畜だと罵倒してもおかしくない。そこから一年間で素晴らしい体験をして、たくさんのことを教えてもらっていくなんて、全く想像できなかっただろう。その時、自分はもう、きっと無理だと思っていたから。

話が逸れた。インクの滲んだ写真を少しずつ透明なフィルムに閉じ込めていく作業をまだ、私は続けている。時々苦しくなる。私が悪いのだけれど、嘘は綿で己をゆるやかに窒息死させ、時々もがき苦しんでいる。これが罰なんだと受け入れて、でも赦されて救われたいからもう今でも吐き出して罵られて全てなくして初めから何もなかった状態に、枯れかけた野原にもう火を放ってしまいたいような、18年の信頼は?今まで積み上げてきたものは?温かい体温は?君のためと目指した安定は?互いに頑張ろうと誓ったのは?何本も何本もテープを替えて記録した日々は?鮮やかな思い出は?輝かしい経験は?友人の思いは?すべて受け入れてくれた優しさは?幸せを願って流した私や彼や友人の涙は?私はそれを全部全部全部まとめて3ミリのラテックスの口をかたく絶対に出てこないようにしっかりと縛り丁寧に優しくティッシュでくるんできみの部屋のゴミ箱に捨てた!赦されるの?誰にも言わなければ嘘も本当なんだよと抱きしめて言ったね  きみのその言葉を信じているんだよ。宿題、もう目の届かないところにおいて雑誌とともに捨ててしまおう。馬鹿正直に向き合う必要なんてないのだから。