19歳女の話

追い詰められた瞬間を書きとめていくので見てください、20歳になりました

思い出し書き

高校生のときってどんな感じだった?というのは普遍的な会話のタネだと思うし、これを聞くと大抵どんな人間なのかを知ることができる気がする。学校行事、部活、クラスメイト、バイト、恋愛、きっとさまざまな事が新しく原色だけで描いたような日々を過ごしていたんじゃないだろうか、義務教育から解き放たれて自由を手にした十代が最強でないわけがない。その最強の時期に体験した事を聞くのは、手っ取り早くどんな人間かを知る事ができる気がする。

ところで、今私は夏休みだ。クーラーの効いた部屋で午後3時なのにカーテンも開けずタブレットで動画を垂れ流しながらこれを書いている。ふと、高校生のときのある夏休みを思い出したので、これを書くに至ったわけだ。

私の高校生のときの夏休みは、正直言って原色で描いた輝かしいキャンバスの絵とは程遠く、海やプールにも行かなかったし、花火大会やバーベキューにも縁がなく、部活にも所属していなかったのでたしか、高校の友達にも一度も会わなかった(会っても数回)。夏休み明けに学校に行くとあきらかに自分が色白で、どこか出かけましたか?という担任の問いかけに大声で答えるクラスメイトを笑う、いわゆる”賑やかし”、大多数の一人である。

去年もそうだったし、今年もきっとそうなんだろうな、と高校3年生の8月初日に思った覚えがある。でも、その年の夏は去年と違って運転免許を手に入れていた。夜中、借りた車を走らせて友達とサービスエリアに行ったり、意味もなく海沿いを走らせて小田原の手前まで行ったりした。月並みだけど、どこまででもいける気がしたし、ゆるやかに彩度を増していく空から顔を出す優しい朝日が徐々にギラついていく様を見るのも好きだった。いつもの夏休みとそこまで変わらないような事をしてたけどやっぱり少しだけ遠くにいくこともできて楽しかった。

その年の夏休みの終わりの頃、線香花火だけを買ってベランダでささやかに友達と花火をした。短くなっていく花火と長い休みの日々の終わりが重なったように見えて、一言も会話を交わさなかった(線香花火って無言になるよね)。友達のが先に落ちて、追いかけるようにすぐ私の火種が落ちた。茶化すように友だちが「せつないね」と笑って言ったのを強烈に覚えていて、そうだねと頷いてから変な間が空いて、どちらかともなく、なんとなくその一本ずつでやるのをやめた。結局この年も免許があっても海やプール、バーベキューや花火大会には行かなかった。

今思えばやればよかったのになと思うけれど、大きなイベントはなくても夜中からドライブしたり、昼過ぎに起きてアイスを食べながらDVDを見たり、夜更かしをして友達と漫画を書いたり特別なことはなくても、そんな微熱のような熱に浮かされた時間が永遠に続くと当時は思っていた。穏やかで優しくて、時間がゆっくり流れていたような、突然それの終わりを線香花火が教えてきた気がしてさみしかった。

9月、テンプレートのように今年の夏はどこに行きましたか?と聞く担任に大声で返すクラスメイト、間を埋める誰かの笑い声、ここだけはよく覚えてる。どこにも行かなかったけど特別な気がした高校最後の夏休み、もう2年前になる。当時は大して面白くない白黒の青春を送ったなと結構後悔していたけど、今思うと鮮やかな原色の思い出よりもパステルカラーくらいの優しい思い出が性に合ってるし、それくらいでちょうどいい。意外といい夏休み過ごしてたんじゃないのと思って書いた。今年の夏休みは過ぎてみたらどんな思い出になってるだろう。去年の夏は、何も思い出せないけれど