19歳女の話

追い詰められた瞬間を書きとめていくので見てください、20歳になりました

立ち止まるまで

人は大なり小なり悩みを抱えて生きていると思いますが、学生の身分である自分の悩みの種はもっぱら勉学のことです。ブログのどこかでも書いた気がしますが、自分は頭が悪くギリギリのラインでテストをくぐり抜け、進級に際しても当落線上で当の方に運良く落ちれただけの人間です。2年にたまたま進級出来たものの、1年とは比べ物にならないくらいに学校が忙しく、かつ内容は難しくなっています。日々の勉強に加えてレポートや課題、小テスト、どこの学生でも抱え道端に転がってる凡庸な悩みを丁寧にひとつひとつ拾って内臓に詰め込み胃の中身を捻り出すような焦りに駆られています。同じクラスで同じように専門的な勉強を始めたはずなのにこの差はなんだろう?同じ課題を出され同じレポートをこなしているはずなのにどうしてこんなに完成度やかかる時間が違うのだろう?端的に言えばそれは個人の能力差で能力のない私のような人間は彼らがしている凄まじい努力よりも努力しなければいけない、そう、分かっているのです

でも、分かってるだけで私の頑張ったは彼らの頑張ったの足元にも及ばずテストの点も離れていきます。ただ、焦りだけが募ります。都合のいい生き物で、私は、向いてないんだ、この職業は私に合わないんだと思い、心が逃げるのです、逃げてるのは分かっていてそれを冷静に見ている自分と必死に違うことならば出来るとかの仕事は合わないんだと必死に自分を守ろうとする自分の2つが分かります。よく、分かります。

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今日は特に帰りが遅くなった日で夕飯いらないよと母親に連絡をしたのですが、そこで食べた食事が美味しくなくて、家のご飯が一番だねと母親へラインをしました。

そして、自分を守ろうとする自分が、向いてないかも、辛いと、弱音を吐きました。しばらく経ってからの母親からの返信は、こうでした。

“今はつらくても頑張ったらいいことがあるよ、私は苦労したから頑張ってほしい、でもこれを重荷に思うことはないよ”

”〇〇(私の名前)が居なかったらきっと自分は酷い人間になってたかもしれない、ありがとう”

 

そう言えば最近20歳になったのですが、成人したものの年甲斐もなく大和駅のホームで自販機に寄りかかり泣いてしまいました

なぜ、私に対してありがとうなのかは、よく分かりませんが、母親になったら、はたまた大人になったら分かるのでしょうか。

私はもっと頑張りたい。重荷に思ったからではなく、ただ母親へ恩返しがしたい。立ち止まってないでまず目の前のレポートからやらなきゃ。バスから降りるときめちゃめちゃ前が滲んだけれどまばたきをしないで、目をこすりながら歩き、ドアの前で一呼吸置いて、鍵を差し込みました。