19歳女の話

追い詰められた瞬間を書きとめていくので見てください、20歳になりました

セレナーデ

セレナーデドイツ語Serenade(南ドイツ・オーストリアではセレナーデ、北ドイツではゼレナーデ))は、音楽のジャンルの1つであるが、一般的な言葉としては、恋人や女性を称えるために演奏される楽曲、あるいはそのような情景のことを指して使う。

 

__

昔から好きだよと言ってくれたけど好きとかそういうのがわからなくて、周りの友達から聞く「女ってメンドクセ」ってヤツが心に焼き付いてたし、なんとなくそういうのはイイやって思ってて(部活の方が楽しかったし)、もちろん嫌いじゃなかったんだけどそれをそのまま彼女に伝えたらじゃあ好きになってもらえるよに頑張るねって笑ってた。これでいいのかなぁって思ったけど、ものすごい眩しい西日へ帰っていくみたいにじゃあまた明日ねって手を振られて、真っ黒なシルエットへ眩しいなぁって思いながら、手を振り返した。

それからずっとずっと経っても相変わらず遊んでたりして、髪型とか、公園で駆けずり回ってたのが車に変わって、甘いジュースから甘いチューハイに変わったくらいだって。ある日ぼくの隣で彼女が取り出したのはタバコで、びっくりしてたらまだ吸ったことない?って聞いてきた。ないよ、なんで吸ってるの?って逆に聞き返したらバイトの先輩から勧められてだよ、って言ってた。なんだかぼくの頭の中にはどこかで見た彼女のバイト先の忘年会とかいう写真とか仲がいいんだって駅でばったりあった時に紹介された二個上とかいう先輩の顔とかもやがかかった幼い時の彼女の顔とか彼女の母親の顔とかがキレイに順番に並んでバラバラにビュン!って弾けたと思ったら万華鏡みたいにぐるぐるぐるぐるその顔や顔と顔が折り重なって回って回ってどんどん一つになって、匂い苦手だった?ごめんねと呟く今の彼女に帰結した。気持ち悪いなって思った。分かってはいたけれど彼女には彼女の世界があって交友関係があってぼくの知らないところへ行ったり見たり聞いたりしていたという事実がなんだかとても気持ち悪かった。「まだ処女なの?」と口をついて出た疑問にしまったと思う前に「あはは、違うよ」「この前別れた先輩だよー。なんか影響受けてるみたいで恥ずかしいねタバコも。やめよっかな」何も変わってなかったはずの笑顔が汚染されてる気がして血の巡りがとても早くて絶叫してゲロを吐いてしまいたかった。ぼくのことが好きって言ってたじゃないかよ、彼女の美しい顔を借りて朝のさえずりのような声を借りて喋るな悪魔め魔女め女狐め、「そうなんだ、今日もう遅いから家まで送るよ、あ、うち禁煙車だから」月は頂点を超えて傾き出している。その夜はなかなか寝付けなくて、やけにデカくて目だけははっきり見える男が腰を90度に曲げて水平にぼくの顔をにゅっと覗き込みながら話しかけてくるからだ。「非処女だったな、お前の意気地が無いからだ信用してたなんて嘘吐くなよ散々ビビって逃げてきたツケだよ皮被り童貞野郎が」「どいつもこいつも平気な顔してセックスして喜んでる男がいるんだよ」「蚊帳の外蚊帳の外お前だけは知らない楽園!自分の要求に恥ずかしがりながら頷いてなんでもしてくれる天使たち!お前の前でだけ人の皮を被って世界を作ってやってるんだ」ふと、男の後ろに目を向けると真っ黒のシルエットで人の形のようなものの下に苦しそうな顔をした彼女がいる。ちょっと汗ばんでて、顔が赤くて、ひっくり返ったカエルみたいな間抜けな格好して、あっあっと小刻みな声が聞こえて、ぬるぬるって耳元で聞こえそうなベロの動きから目が離せなかった。男はいつのまにかいなくてでもぼくは動けなくて、見たことない嬉しそうな切ないような苦しいような顔してすきだよってよくわからない物体に言ってて違うだろって、でもそれも声が出なくて動きが止まって荒い息遣いが首筋にまとわりついてる、は、と自分の体に目を向けたらぼくの頭くらいの大きさの蜘蛛が胸に張り付いて何個もついた目玉でギョロギョロこちらを見ながら口を開けて、毛の生えた足をかさかさ動かし、ぼくは叫んだ。朝になっていた。やけにデカい男も真っ黒な何かも蜘蛛も彼女もいなかった。

 

__

コンビニで買ってきた線香花火にベランダで火をつけて、30秒くらい火花だけの世界になる。蝉の声もはしゃぐこどもの声もない、火花が弾ける音だけがする。隣にいる子の息遣いすらも、いなくなる。

ボト、と火種が落ちて「切ないね」と声を聞いた時、落ちた火種を中心にふんわりと、柔らかくまた世界が始まってくる。「いつか父親を探したいんだ、何かしたいわけじゃないけど、どんな人間か見てみたいから」「君は、そう思ったことはないの?」だんだん車の通る音とか、目が慣れてきて彼女の輪郭がはっきりとしてくる。僕の問いは返されることなく、彼女は次の線香花火を取り出して火をつけ、また火花だけの世界を作り出した。「ないよ。お母さんと君がいればそれでいいもの、あとのことは、興味ないな」いい終わりと同時にボト、と火種が落ちた。「戻ろ、暑いし、蚊に刺されちゃう方が一大事だよ」とズボンをはたいて立ち上がる彼女の髪から火薬の匂いがして、見えないふりをしてた花火に照らされた時の悲しげな顔があのオレンジの光とともに焼き付いて、ずっと一緒にいようと思った。

 

__

 

渚のアデリーヌ - YouTube

 

走馬灯を見るとき、私はこの音楽が流れるだろうと中学生の時掃除しながら思った

 

アルバム

 

ばらばらになって出てきた写真の束を時系列に沿ってアルバムにしまい込む作業と同じように、ばらばらと思い浮かぶ過去を整理して、美しい思い出として心の奥にそっと置いておきたい。そう、思い立ったから書き出した。

 

部屋の片付けはいつも突然したくなる。正面から向き合うのが苦しくてため込んでいた夏休みの宿題は去年の七月の終わり頃からずっと机の端に、でもぎりぎり視界に入るところにおいてあって、やらなければと思うものの開くのが怖くて一年と三ヶ月が経った。たくさんの事が変わっていろんなことを知ってまた一つ歳を重ねた。

もうそろそろ、いい加減この宿題を片付けなければ、自分の中にもやが残る。私の先生は提出物を催促するタイプではないのが、更に心苦しさを強めてた。「さっさと片付けろ」と叱ってくれたのならば、どんなに楽だろうか。「君のペースで、出来れば早くがいいけれどいつでもいい。待っているよ」と淋しげに困った顔をする今の私の先生、悲しませていけないのは誰なのか、火を見るよりも明らかなのに私はこわくてこわくて、問題に向かうこと、それ以前に宿題を開くことすら出来なかったのです。やっと、こんなに時間がかかるとは、いやこれからももっと時間をかけて問題を解いていくのかもしれません。今でもふとした時、思い出す事があるけれど、どれもこれも水滴を落とした写真のようにインクが滲んでいて輪郭がはっきりとせず、どんな顔をしていてどんな状況だったのか、そこまでもう思い出せない。具体的にいつ、どこでどんなことをして…という記憶がもうほぼ、ない。あんなにかけがえのないものなど存在しないのだと信じきっていたあの頃からすれば、非情で鬼畜だと罵倒してもおかしくない。そこから一年間で素晴らしい体験をして、たくさんのことを教えてもらっていくなんて、全く想像できなかっただろう。その時、自分はもう、きっと無理だと思っていたから。

話が逸れた。インクの滲んだ写真を少しずつ透明なフィルムに閉じ込めていく作業をまだ、私は続けている。時々苦しくなる。私が悪いのだけれど、嘘は綿で己をゆるやかに窒息死させ、時々もがき苦しんでいる。これが罰なんだと受け入れて、でも赦されて救われたいからもう今でも吐き出して罵られて全てなくして初めから何もなかった状態に、枯れかけた野原にもう火を放ってしまいたいような、18年の信頼は?今まで積み上げてきたものは?温かい体温は?君のためと目指した安定は?互いに頑張ろうと誓ったのは?何本も何本もテープを替えて記録した日々は?鮮やかな思い出は?輝かしい経験は?友人の思いは?すべて受け入れてくれた優しさは?幸せを願って流した私や彼や友人の涙は?私はそれを全部全部全部まとめて3ミリのラテックスの口をかたく絶対に出てこないようにしっかりと縛り丁寧に優しくティッシュでくるんできみの部屋のゴミ箱に捨てた!赦されるの?誰にも言わなければ嘘も本当なんだよと抱きしめて言ったね  きみのその言葉を信じているんだよ。宿題、もう目の届かないところにおいて雑誌とともに捨ててしまおう。馬鹿正直に向き合う必要なんてないのだから。

 

尾腐れ病・普通・人を見る目・距離感

 

 

〈尾腐れ病〉

とある熱帯魚を飼いだした。ヒレが大きくその遺伝子で再現できない色はないと言われるほど色味鮮やかで優雅な魚、生きるインテリア。我が家に迎えて二週間になる。私は生き物を飼育したことがない。

昨日、その扇のように開いたヒレが一部溶けていることに気づいた。餌も食べるしよく泳いでいて順調かと思っていた矢先だ。急いで対策を調べて治療に当たった。

原因は正直分からない。思いつく限りのできることを行なったが治るかどうかは分からない。主にストレス又は細菌感染からこのような症状を呈するようだった。

魚は喋らない。痛みも感じないらしい。周りの人間が気づかなければそのまま死に至ることもあるのだろう。早くに気付いたから治るまでに時間がかからないことを祈るが

生き物は魚も人間も同じ様だ  環境が変わればストレスで病気もするし体に異常が出て、痛みを感じても無視して餌を食べ生きるために働くだろう  人間も意図して話さないことが多い。周りが気づかなければ手遅れになることもある。人間も腐るみたいだ

 

 

 

〈普通〉

大学に行っても自分の気質では何も得られないと思った私は早々に専門的な知識を身につけて資格を武器に働きたいと思ったので医療系の専門学校へ進んだ。高校生の時はやりたいことがまるでなくて、校風自体も嫌いだったからあまり行かなかったので(頭も悪かったし)たかだか医療系の専門に行くのにもチョッピリ苦労した。出席日数とか取得単位の兼ね合いでね

勉強が嫌いだったからラクに行ける公立、と選んだからまあそんなもんだろう、高校見学とか一回も行かなかったから仕方ない。早く出て行きたい一心で参加させられた進路フェスティバルとそこで出会った今の学校、ほぼ一目惚れみたいな感じで三年の春にはそこに行くと決めていた。他の大学も専門も就職も全ての情報をシャットアウトして、そこへの進学だけを考えた。

私は中学生の時から将来何になりたいかとか、あんまり考えてなかったけれど、普通に生活したいという気持ちだけは根底にあって、それが出来るなら基本どんな職種でもいいと思っていた。土日祝が休みで、夜勤やサービス残業がなくて、1人で余裕を持って暮らせるくらいのお給料が貰えて、19時までに会社を出れて、他人に隠すことなく言える職業。上手くいけばそれが狙えるのが、今の専門学校で取得を目指す資格だ。そう信じて、今も勉強している。

職業だけではなく、人生も普通に過ごしてゆきたいと思っている。学生の時に出会った好きな人と結婚して、子供を若いうちに作って、仕事と子育てを両立させながら、趣味の読書や音楽を聞いたり、水槽を弄ったりして家族で暮らして、時々旅行に行ったりなんかして。大学まで不自由なく生活・進学させて、いずれまた家族が増えるのを見届けたい。老後は配偶者とのんびり趣味に付き合いながら美味しいものを食べたり、綺麗なものを見て綺麗だね、と言いたい。痴呆が始まったら施設に入れてもらって構わないし、迷惑をかける前に笑ってさっさと死にたい。少しのお金と何か役立つものを残して。

豪華な結婚式をあげたいだとか、ブランド物が欲しいとか、高層マンションの最上階に住みたいとか、そういう派手な欲はない。男性にちやほやされたいとか、燃えるような恋がしたいとか、刺激が欲しいとかそういうことも思わない。平穏で、安定した繋がりが欲しい。この考えはきっと小さい頃から変わらない気がする。

普通が一番難しい。あきれるほど聞いた言葉だ。一番難しいからなんなんだ?じゃああなたは一番難しいからと最初から諦めるのか?馬鹿が何を高望みしているかと侮蔑するか

幸せになりたい。普遍的な願い。人間として生まれた自分の生涯のテーマだと思う。何をもって幸せとするかは人それぞれだから、その価値観を押し付ける人間が一番愚かで頭が悪いのはきっと誰でも分かることだけれど、私にとっての幸せは普通なのだから、努力は惜しまない。

一緒にいても自分のためにならない人を切り捨てることも、困った時に助けてくれる友人を守ることも、一緒に暮らしていける、戦っていける、好きだと思う男性を選ぶことも。好かれる努力もした。将来の生活のために今耐えて勉強もしている。大切な人に苦労をかけたくないから、自分は特殊なお金に変えられるスキルを持たない人間なので、勉強して何とか自分に付加価値を与えないと、会社は自分を買ってくれないのは、重々承知だから。思っているよりも自分の社会的価値は低いことを自覚しないといけない。

自分は1人だけでも、自分のような能力の人間、それ以上の人間なんて死ぬほどいる。それじゃ選ばれない。だから、体力があって頭が働く若いうちに出来るだけ、吸収できるだけ頑張ろうと思える。普通の生活を送るために

年取ってからみっともなく、お金のことや老後のこと、家族のことで苦労したくない。そんな生活、人生の集大成として格好がつかない。昔、普通を馬鹿にした人を見返してやらなきゃね、とそれも少し頑張るエネルギーになってたりもするけど。

 

 

〈人を見る目〉

私は頭がいい人、楽器が上手な人、絵が上手な人、コツコツと努力を続けることが出来る人、何か突出した才能のある人を無条件に尊敬していて、私の友人ももれなく何かしらこれらの1つに当てはまる。だから友達でいられるのだなあと思う。

自分の学校では私より頭のいい人が相当いるので基本みんな尊敬している。ちゃんとコツコツと努力してテストの点を取っていて本当にすごい。(クラスメイトに「権力に弱いよね」と言われたことがある。うちの学校の権力=学力なので頭のいい人の指示に従うことが一番ミスが少ないだろうに、クラス内のカースト上位みたいな権力に弱いよね(笑)みたいな解釈するの、非効率的で頭悪いなって思ったの思い出した。言ってきたやつは勉強出来るけどその瞬間から普通にこいつ馬鹿じゃんって今だに思ってる、これは別の話だけど)

その中でも特に努力しているクラスメイトがいて、とても私は尊敬していた。なんでも知ってて、ユーモアもある嫌味のない誰からも好かれる人気者。だけど、〇〇と付き合ってるらしいよ、と聞いてからなんだか今までの輝きを失った気がする。その相手の女が中々の曲者で、みんなから一歩引かれてるような相手だったから。正直な感想、なんで君みたいな高スペックがその子なの?っていう疑問しかない。確かにその子は頭は良いけど見た目はうーん、まあ、お世辞にも可愛いとは言えないし、性格も上で書いた通り”曲者”だ、何重にもオブラートに包んでこの表現、察してね。何が原因か知らないけど学校も辞めた子、将来大丈夫か?そんなことまで考えてないだろうしおせっかいか。

ともかく、なんだろう。その子を選ぶその人の感性を疑ってしまった。そして純粋に、何がいいのかかが気になる。

その子、友人の大切なものをとっさに放り投げて激怒されたのに何が悪いのか分かっていないような態度で、諭されても謝らなかったことがあったので、なんだか私はその印象が強く、他人の大切なものを大切に扱えないような子と付き合う気がしれん!と思ってる、ただそれだけの話。でも、そんな子と付き合っていこうと思ったのだから、なんだかその人にもきっとそれと共通する心があるんじゃないか?と思えてしまう。クズの友達はクズ理論、似た者同士は惹かれ合う、違うかな  変わり者のお友達に恋人が出来たらきっと「変わった人なんだろうなあ」と思わないか?その延長

彼も人の大切ものを大切に出来ない人間に思えてきた、付き合う人間は大切だ  友達もね きっと似た者なんだろうなと思われるから。

 

 

〈距離感〉

あなたの周りに距離感のおかしい人間、居ませんか?物理的な距離感でも、精神的な距離感でも。こういう人間、厄介ですね。分かってやってるならば怒りのぶつけようがあるもののわかってんだか何だか分からん奴が一番対処に困る。だって、心のうちでは何を思ってるかは知らんが、距離感が近すぎておかしい人のことを周りの人は人当たりがいいだの、フレンドリーだのとても良い意味で解釈するのだから。

距離感が遠い人間は特に害はないのに、(まあ取っ付きにくくはあるし空気の読めない奴、と思われることはあるだろうな)近いやつは本当に厄介だ。最近つくづく思う。それが普通だから迷惑だとも不快だとも思われてないと、多分そんなことすら頭に浮かんでこないんだろうな。

無意識  都合いい言葉だ  電車に並んでる時に人を突き飛ばしてしまいたい衝動に襲われることがあるけれど無意識のうちにやったことなら許されるのか?  違うよなあ  まあこれは法に触れてるしちょっと極端すぎるか

端的に言うと物理的に近い距離の人間が正直苦手なんだよ   たまに居ない?ボディタッチの多い男 領空侵犯なんだわ   たまに居ない?距離感の近い女  ほっといてほしいときも近くに来て息苦しい。私の周りの酸素でも吸い尽くしに来たのか?  パーソナルスペースは人によって違うしそこに他人が入ってきたら不愉快な人間もいる。君は気にしないかもしれないけどね、私は無理。私の好きな人にそのパーソナルスペースの近さで接近してくるのも無理。馴れ馴れしい。勝手に自分の部屋に入られたら不愉快だろうに。他人と自分の境界線が曖昧な人間は怖い。自己が確立できてない可能性が高い。他人に無造作に振りまく愛想は仕事の関係でもなければ笑顔の押し売りだ、無理矢理でも買ってなんとか笑顔を返さなければならない。疲れている。大勢にばら撒いた無価値なものをさもあなただけと言わんばかりに手向けるな  他人の手垢がついた飴を誰が食べるんだ  私からすればそれはそういう風にしか取れない  馬鹿な奴らばかりだからきっと、自分だけだと信じて喜んで食べるんだろうな  やっぱり理解できない。

晩夏

夜、窓を開けて車を走らせると風が冷たく、秋の訪れを教えるように風が優しく首元を撫でた。夏は毎年挨拶なくやってきて地上を焼かんばかりの光と紫外線をばら撒き、何も言わずにいつのまにか去っていく。暑いと文句と汗を垂らすがそんな夏が好きだ。やり残したことがたくさんあるのに、また来年ともそろそろ終わりとも言わずに去っていく。西瓜も食べ損ねてしまったし七月に買った花火はまだ出来ていない、プールもまだ、と指折り数えているうちに来週の天気予報には傘が開かれ、おまけにその雲の塊にはご丁寧にどこの国の言葉がよく分からない名前が付けられている。今年の夏がもう終わる。夏が追いやられて秋が来る。夏の終わりはいやに寂しい。       

 

自分が一番不幸だと思うことで心の平穏を得ている人間が一定数居るというのは周知の事実であろうが、その病気が最も悪化するのは秋から冬にかけてだろう(あくまで個人的に)。現代のソーシャルネットワークサービスでは能動的な情報取得にのみならず、受動的にも情報を得ることが出来る。どちらも一長一短であると思うが、受動的に情報を得ることについての”短”の事を書いていきたい。一言で言うと、見たくないものを見てしまうことが増えたということ。嫌なら見るな、そんなことは分かっている。しかしそれだけで防げないことがあることも事実だ。

仰々しく自分の悩み・恨みを書き連ね、個人が特定できる状況でもはや公共の場と化したSNS上に公開する。私からすれば、プライベートな事を書いた日記を電車の中で音読することと等しい。そしてそれは、非常に愚かな行為に見える。こんなに悩んでいてこんなに恨んでいる、不幸だと叫んでいる。個人的にだが、秋から冬にそういう投稿が増える気がする。近しい友人だけや、限定公開ならばまだ理解はできるが何百人も見ているようなところでそれを叫ぶ意味はなんだろうか。同情が欲しいのか、他人の自分へ対するハードルを下げているのか、構って欲しいのか、はたまたその全てか。行動原理がよく理解できない。かつ、私はそういう投稿が嫌いだ。人間はネガティブな事を考えるとそれをインプットする。それを文字に起こす事で二度目のインプットを行う。作り上げた文章を見返す事でより色濃く三度目のインプットが行われる。投稿する事で再び目にして、はたまた口にする事で四度目のインプットが行われる。次の日、その文章を見たなら五度目になるだろう。記憶の厚塗りだ。言霊という言葉はこの事を言ってるんじゃないかと思う。感情が収まっていても言葉や文字の形として存在するものに人間はコントロールされる。感情はその場でなくても後から必ず追いかけてくる。ネガティブな事柄は考え形にし目にすることで余計に頭に強く記憶されるのだ(勿論その逆も然り)。だから私はネガティブな事を思ってもなるべく文字には起こさない。

人は忘れる生き物である。そういう風に神が上手く海馬を設計したのだ。悪いことも良いことも等しく忘却して、またニュートラルな気持ちで日々に取り組んでいけるように。しかし、人には記憶という有限であるが素晴らしい機能がある。その限りあるメモリになぜ、悪い事を自ら記録させていくのかが理解できないし、多少の苛立ちすら感じることがある。

美しいことだけを残して、嫌なことは忘れてしまえばいい。都合よく記憶を作り上げればいいのにいつまでたっても王子様の現れない悲劇のお姫様気取りだ。若い頃ならば似合っていたその涙と悲しい色をしたドレスも歳をとればただの布切れと戯言。並べ立てられた問題の解決の糸口を見つけるよりも砂浜に落ちた一粒の砂金を見つけることの方が簡単だといけしゃあしゃあとした顔で言い放つだろう。騒ぎ立て一生に一度だと言わんばかりに絶望を剥き出しにしていても、同じように叫んでいた去年の今頃何に悩んでいたのかSNSを遡らなければ分からないような連中が全体の九割を占めている。きっと、来年も再来年もこう思うのだろう。

投げたナイフが誰もいない壁から跳ね返って私の喉元を切り裂いて死んで終わり。

 

 

思い出し書き

高校生のときってどんな感じだった?というのは普遍的な会話のタネだと思うし、これを聞くと大抵どんな人間なのかを知ることができる気がする。学校行事、部活、クラスメイト、バイト、恋愛、きっとさまざまな事が新しく原色だけで描いたような日々を過ごしていたんじゃないだろうか、義務教育から解き放たれて自由を手にした十代が最強でないわけがない。その最強の時期に体験した事を聞くのは、手っ取り早くどんな人間かを知る事ができる気がする。

ところで、今私は夏休みだ。クーラーの効いた部屋で午後3時なのにカーテンも開けずタブレットで動画を垂れ流しながらこれを書いている。ふと、高校生のときのある夏休みを思い出したので、これを書くに至ったわけだ。

私の高校生のときの夏休みは、正直言って原色で描いた輝かしいキャンバスの絵とは程遠く、海やプールにも行かなかったし、花火大会やバーベキューにも縁がなく、部活にも所属していなかったのでたしか、高校の友達にも一度も会わなかった(会っても数回)。夏休み明けに学校に行くとあきらかに自分が色白で、どこか出かけましたか?という担任の問いかけに大声で答えるクラスメイトを笑う、いわゆる”賑やかし”、大多数の一人である。

去年もそうだったし、今年もきっとそうなんだろうな、と高校3年生の8月初日に思った覚えがある。でも、その年の夏は去年と違って運転免許を手に入れていた。夜中、借りた車を走らせて友達とサービスエリアに行ったり、意味もなく海沿いを走らせて小田原の手前まで行ったりした。月並みだけど、どこまででもいける気がしたし、ゆるやかに彩度を増していく空から顔を出す優しい朝日が徐々にギラついていく様を見るのも好きだった。いつもの夏休みとそこまで変わらないような事をしてたけどやっぱり少しだけ遠くにいくこともできて楽しかった。

その年の夏休みの終わりの頃、線香花火だけを買ってベランダでささやかに友達と花火をした。短くなっていく花火と長い休みの日々の終わりが重なったように見えて、一言も会話を交わさなかった(線香花火って無言になるよね)。友達のが先に落ちて、追いかけるようにすぐ私の火種が落ちた。茶化すように友だちが「せつないね」と笑って言ったのを強烈に覚えていて、そうだねと頷いてから変な間が空いて、どちらかともなく、なんとなくその一本ずつでやるのをやめた。結局この年も免許があっても海やプール、バーベキューや花火大会には行かなかった。

今思えばやればよかったのになと思うけれど、大きなイベントはなくても夜中からドライブしたり、昼過ぎに起きてアイスを食べながらDVDを見たり、夜更かしをして友達と漫画を書いたり特別なことはなくても、そんな微熱のような熱に浮かされた時間が永遠に続くと当時は思っていた。穏やかで優しくて、時間がゆっくり流れていたような、突然それの終わりを線香花火が教えてきた気がしてさみしかった。

9月、テンプレートのように今年の夏はどこに行きましたか?と聞く担任に大声で返すクラスメイト、間を埋める誰かの笑い声、ここだけはよく覚えてる。どこにも行かなかったけど特別な気がした高校最後の夏休み、もう2年前になる。当時は大して面白くない白黒の青春を送ったなと結構後悔していたけど、今思うと鮮やかな原色の思い出よりもパステルカラーくらいの優しい思い出が性に合ってるし、それくらいでちょうどいい。意外といい夏休み過ごしてたんじゃないのと思って書いた。今年の夏休みは過ぎてみたらどんな思い出になってるだろう。去年の夏は、何も思い出せないけれど

 

立ち止まるまで

人は大なり小なり悩みを抱えて生きていると思いますが、学生の身分である自分の悩みの種はもっぱら勉学のことです。ブログのどこかでも書いた気がしますが、自分は頭が悪くギリギリのラインでテストをくぐり抜け、進級に際しても当落線上で当の方に運良く落ちれただけの人間です。2年にたまたま進級出来たものの、1年とは比べ物にならないくらいに学校が忙しく、かつ内容は難しくなっています。日々の勉強に加えてレポートや課題、小テスト、どこの学生でも抱え道端に転がってる凡庸な悩みを丁寧にひとつひとつ拾って内臓に詰め込み胃の中身を捻り出すような焦りに駆られています。同じクラスで同じように専門的な勉強を始めたはずなのにこの差はなんだろう?同じ課題を出され同じレポートをこなしているはずなのにどうしてこんなに完成度やかかる時間が違うのだろう?端的に言えばそれは個人の能力差で能力のない私のような人間は彼らがしている凄まじい努力よりも努力しなければいけない、そう、分かっているのです

でも、分かってるだけで私の頑張ったは彼らの頑張ったの足元にも及ばずテストの点も離れていきます。ただ、焦りだけが募ります。都合のいい生き物で、私は、向いてないんだ、この職業は私に合わないんだと思い、心が逃げるのです、逃げてるのは分かっていてそれを冷静に見ている自分と必死に違うことならば出来るとかの仕事は合わないんだと必死に自分を守ろうとする自分の2つが分かります。よく、分かります。

———————

今日は特に帰りが遅くなった日で夕飯いらないよと母親に連絡をしたのですが、そこで食べた食事が美味しくなくて、家のご飯が一番だねと母親へラインをしました。

そして、自分を守ろうとする自分が、向いてないかも、辛いと、弱音を吐きました。しばらく経ってからの母親からの返信は、こうでした。

“今はつらくても頑張ったらいいことがあるよ、私は苦労したから頑張ってほしい、でもこれを重荷に思うことはないよ”

”〇〇(私の名前)が居なかったらきっと自分は酷い人間になってたかもしれない、ありがとう”

 

そう言えば最近20歳になったのですが、成人したものの年甲斐もなく大和駅のホームで自販機に寄りかかり泣いてしまいました

なぜ、私に対してありがとうなのかは、よく分かりませんが、母親になったら、はたまた大人になったら分かるのでしょうか。

私はもっと頑張りたい。重荷に思ったからではなく、ただ母親へ恩返しがしたい。立ち止まってないでまず目の前のレポートからやらなきゃ。バスから降りるときめちゃめちゃ前が滲んだけれどまばたきをしないで、目をこすりながら歩き、ドアの前で一呼吸置いて、鍵を差し込みました。

 

書きなぐり

シンプルにどこかに消え去ってしまいたいというか学校行くのも朝起きるのも授業に出るのもしんどい好きで始めたことでも追い詰められてお前は使えないゴミなんだよって伝えられてるような気がして苦しいし何も楽しくない楽しませてくれることがない作り出せる努力ができない自分が虚しい先のわからないために努力しようって思うけどそれは思い込んでるだけでそうセルフ洗脳のプロフェッショナル気色悪い前ならえを疑うこともせずすることが幸せへの最短だと信じて疑わないようにしている特別な才能のない人間がもっとも短距離で幸せになる方法は学生のうちならば学をつけることと信じているけど本能的に幸せになりたいから前ならえをして馬鹿なりに学をつけようとセルフ洗脳を行いなんとか朝から夕方まで椅子に己を縛り付けているけれどそろそろその洗脳効果が切れるからどこかへ消え去ってしまいたいし教室の静まり返った授業中に急に絶叫して全裸になってから持ってる文房具をすべてプロジェクターに投げつけて有り金握りしめてGUでパンツを買いロマンスカーに乗って箱根山の猿に見守られながら硫黄の中に飛び込みたいのにねつまらないから励ましの言葉を投げかけていたとしてもそんなの心のそこから思ってると思うのかなそれ信じてたら本物の馬鹿か多分詐欺に引っかかるタイプの人間だから気をつけなねはあ叶うことならばタイに行って楽しく遊んでビーチを謳歌してからよく分からん薬物によって幸福感を持ったまま心不全で死んで狂犬病持った犬の餌になり身元不明の女として報道されたいこんなところにいたら腐るつまらないからね何も面白くない誰も理解してくれないまあして欲しいとも思わないけどねつまりはほっとけ本当に嫌いだわもう早く死にたいけど誰か殺してくれないかなあ未来に希望もない現代の若者の総意だよ苦しみもなく手間もなく殺してくれるなら多分みんな死にたいと思うよ特に私ね無理だもんだって高価なものをつけても美味しいものを食べても楽しいことをしても満たされなくてつまらなくて成功への渇望が抑えきれないのに努力はできないゴミ人間だからこそこうもう結構追い詰められてるんですわ